他力本願の意味①
人まかせ、他人依存、成り行き任せの意(Wikipediaより)
この意味しか知らない人が多いと思う(私も最近までそうでした)。
しかし、この意味を公の場で使うと、本願寺に怒られる。
1968年には、当時の倉石忠雄農相が日本の軍備に触れ、「今の世界は他力本願では生きていけない」との意味の発言をして浄土真宗各派から抗議されている。
2002年5月、オリンパス光学工業が全国紙に「他力本願から抜け出そう」というコピーで広告を掲載した。それに対し真宗教団連合が「広告の表現は多くの門徒の心を踏みにじる」と抗議をしている。その後オリンパスは配慮が足りなかった点を謝罪した。(Wikipediaより)
他力本願の意味②
仏教用語で、阿弥陀仏が衆生を救済する本願のはたらき。
浄土教・阿弥陀信仰の根本となる教義である。(Wikipediaより)
これに関連する言葉に、悪人正機(あくにんしょうき)がある。
「“悪人”こそが阿弥陀仏の本願(他力本願)による救済の主正の根機である」という意味である。
阿弥陀仏が救済したい対象は、衆生である。すべての衆生は、末法濁世を生きる煩悩具足の凡夫たる「悪人」である。よって自分は「悪人」であると目覚させられた者こそ、阿弥陀仏の救済の対象であることを知りえるという意である。
(Wikipediaより)
煩悩を捨てられない凡人でも、「南無阿弥陀仏」で救ってもらえるよ。
すごく簡単に言えば、そういう意味になる。
私達は(宗教的には)悪人である
浄土真宗を開いた親鸞聖人は
善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや
と言ったそうだ。
ここで言う善人の意味が難しい。
親鸞はすべての人の本当の姿は悪人だと述べているから、「善人」は、真実の姿が分からず善行を完遂できない身である事に気づくことのできていない「悪人」であるとする。
また自分のやった善行によって往生しようとする行為(自力作善)は、「どんな悪人でも救済する」とされる「阿弥陀仏の本願力」を疑う心であると捉える。
(Wikipediaより)
善人は、阿弥陀様の力を信じず、自立で仏になろうとしている人間。
そんな善人でも仏になれるのだから、阿弥陀様の力を信じる悪人が仏になれるのは当たり前らしい。
キリストも、同じようなコトを言っている。
善人より、悪人のほうが救いやすい。
誰が偽善者なのか?
宗教の話をたくさんしてきたが、
- 仏になろう、なんて思ってない。
- 信じている宗教なんて無い。
という人が多いだろう(私もその1人)。
しかし、善人と悪人の話を知っておいて、損は無いと思う。
先日、パリ同時多発テロの後、Facebookのプロフィール写真をトリコロール(フランス国旗)に出来た。
これに対して、いろんな意見があった。
Facebookのプロフィール写真をペイントしている偽善者たちに捧げる4つの視点
【長谷川豊公式ブログ】より
元アナウンサーの長谷川さん。この意見は、痛烈で、的を得ていた。
でも、「そんなに言わんでも・・・」では無いだろうか。
最近の熊本地震でも、
紗栄子が熊本地震の被災者に500万2千円を寄付するも、ネットでは「なぜ公開するのか?」が論点に…公開は是か非か?
毒女ニュースより海老蔵も中傷被害 ブログ開放をアクセス数稼ぎと報じられ「残念です」
Yahooニュースより熊本地震ボランティアは偽善者の集まりです。・・・
Yahoo知恵袋より
いろんなコトを言う人がいた。
自分は悪人だと思っておこう
「偽善で売名ですよ」杉良太郎の復興支援インタビューが男前すぎる
livedoorニュースより
杉良太郎さんは、自分は煩悩を捨てられない悪人であると認めているのだろう。
申し訳ないが、これが1番しっくりくる。
こう思っておけば、他人からの批判なんて、どうってコトない。
私は煩悩を捨てられない悪人です(笑)。
byクワリンボーヤ
こんな感じですかね。
以上。最後まで読んで頂き、ありがとうございますm(__)m