何を基準に生きるのか?

こんばんは。桑理です。

私事ですが、先週末を持ちまして
7カ月半の長期インターンシップを終えました。
お世話になった方々、本当にありがとうございました。

たくさんの業務をさせて頂き、たくさんの事を教えて頂き、素晴らしい経験をすることが出来ました。

しかし、僕がやっていたことを書いたって、あまり読んでいただく人の役に立つことではないでしょう。

だから、この7カ月半に考え続けたこと
「何を基準に生きるのか?」
について書きます。

 

僕がやったのはインターンシップですので、僕にお金はほとんど入りません。

インターンシップの期間を全てバイトに費やせば、4倍ぐらいのお金をもらうことが出来ました。
世の中の9割の人が「頭おかしい」と言うでしょう。

しかし、僕にとってはこのインターンシップも、会計士試験の勉強も、
高校野球も、今度インドに行くことも、
やっていたことは感覚的に同じです。

その感覚を一体何と言えばいいのか?
なんで大したお金もらえないのに働いているのか?
そして、自分って何のために生きてるのか?

ずーっと考えてきました。

いや、考えてきたと言うより、じっとしていても分からないので、動きながら考えていました

そこで見つかったことがあります。

「後悔の無い人生を生きる」

(ここから深くなるのでご注意ください。)
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この東野圭吾さんの小説、勧めてもらって読みました。
奥さんを病気で亡くし、大切な1人娘をレイプ魔に殺された男性が
レイプ魔に復讐をする話です。

この男性の場合、「1人娘の成長」が生き甲斐・人生の基準でした。
自分の人生は、自分以外のものに支配されているわけです。
その人生の基準が崩れ去った時、自分の人生が終わってしまいます。

それで良いと思う人もいるでしょう。
でも、僕はそれを嫌だと思います。
何があっても、笑って死にたいと思います。

人生の基準は、自分の内側に置いていたい」

そう思います。

だからと言って、愛情の無い人間にもなりたくない。

そうして辿り着いたのが、
「後悔の無い人生を生きる」

(ここから書くことは完全に理想論です。全然出来ていないけど、やりたいことを書きます。)

単純に、「やりたいことやり続ければ、後悔の無い人生」というわけではありません。

「明日、目の前のものが無くなっても後悔しないように」

ペットに対する接し方が分かりやすいと思います。
ペットは、自分よりも先に亡くなってしまうことがほとんどです。
その分、愛情を注いで育てている人が多いのではないでしょうか。

「明日亡くなったら、、、悲しいけど、後悔はしない」
理想の接し方ではないでしょうか。

「大切な人に、余命が告げられた時」
この理想の接し方が出来るという話を聞きます。

その理想の接し方を、いつでもすることが出来れば
「後悔しないように生きる」
それが達成されます。

自分が明日死ぬとしたら・・・
僕は支えてくれる人に「明日死ぬから会いましょう」言って、
感謝の言葉を言いたいと思います。

でも、いつもそんな接し方が出来ることが理想です。

全然出来ていないことを言いました。
でも、この後5、60年の人生がある可能性が高いです。
段々出来るようになればいいかなと思っています。

 

人によって、人生の基準は大きく違います。

僕は、「目の前の人に、後悔の無い人生を送って欲しい」とも思っています。
だから、人の人生の基準を聞きたがります。

悪いことはしないので、聞いてきたら教えてあげてください。

以上です。

しんどい文章ですが、最後まで読んで頂いて有難うございました。

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2 thoughts on “何を基準に生きるのか?

  1. SECRET: 0
    PASS:
    後悔しない生活は難しいと思う
    やっぱり思うように出来ないこともある
    だから挨拶だけはちゃんとしようと思ってる
    それぐらいはちゃんとしようと心がけてる

  2. SECRET: 0
    PASS:
    >うさん
    どなたか分かりませんが、コメントありがとうございます。
    良いコト言っても、やるかやらないかですからね。
    自分のできるコトからやればいいと思います。
    挨拶すること。ぜひ続けてください!

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