幸せになる勇気~「最良の別れ」のために、僕らは生きている~

先日、祖父が亡くなりました

介護が必要になって、4年前から老人ホームに。
病気による入院を繰り返していましたが、無理な治療をせず、老人ホームで最期を迎えることを選択。
その
1ヶ月に亡くなりました。

いつか別れる日がやってきたとき、「この人と出会い、この人とともに過ごした時間は、間違いじゃなかった」と納得できるよう、不断の努力を傾けるのです。・・・
たとえばいま、突然ご両親との関係が終わってしまうとしたら、生徒さんたちとの関係、友人たちとの関係が終わってしまうとしたら、あなたはそれを「最良の別れ」として受け入れることができますか?

幸せになる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教えII

流行っているこの本、お見舞いの帰りに読んでいました。

小さい頃、よく遊んでくれた祖父。
学生時代はあまり会えていませんでしたが、祖母が亡くなってから、月に1度は会っていました。段々弱っていく姿を見ていたので、亡くなることへの納得感はありました。

最期を老人ホームで迎えることが決まってからは、毎週末に行きました。
「あと数日」という状況になってからは、毎日会いに行くことが出来て、心の整理は出来ていました

どんな形であれ、人が亡くなることは辛いことですが、今回はとても良い別れが出来たと思います。

 

いつ何が起こっても・・・

普通にいけば、30年後に親が、その30年後に自分が死にます。

しかし、いつ何が起こるか解りません
心の準備ができるような別れは、とても幸せでしょう。

僕が小学生の頃、まだ小さかった従兄妹が病気で亡くなりました。
あれほど悲しかった、理不尽に思ったお葬式はありません。

偶然にも僕は、その従兄妹と同じ名前(漢字違い)の人と結婚します。
今後の人生、出来ればあんな経験はしたくない。。。

 

と言っても、僕に人の命は救えません。

  • いつ何が起こっても後悔しないように
  • 「最良の別れ」として受け入れることが出来るように

(宗教家みたいですが)それしかありません。

 

ペットと接するように・・・

(かなり特殊だと思いますが)僕は自分の経験上、普段から死を意識しています。

自分より先に死んでしまうのが悲しいから、ペットは飼わない。

この考え方に通ずるところがあります。

誰だって、死ぬことを意識したくはありません。
葬式会場・火葬場・墓地の近くに住むのは嫌です。

しかし、人間関係を避けるわけにはいきません

  • ペットを可愛がるように、人に対しても素直でいれたら、素敵な人生でしょう。
  • 人に伝えるのは恥ずかしくても、遺書を書いてみたら、同じような気持になれます。

 

 

以上。最後まで読んで頂き、ありがとうございますm(__)m

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