野心とプライドと倫理観

僕のブログを読んでくれる人に「テーマないですか?」と聞いたところ、

正しい野心と正しくない野心

という興味深いテーマが出てきました。

 

なぜ、野心について考えるのか?

 

そもそも、その人はなぜ野心について考えるのか?
気になりました。

  • 野心を持つコトをためらっている。
  • 近くに野心溢れる人がいて、困っている。
  • 野心の違いに悩んでいる。

僕が思い付くのは、この3パターン。

 

野心を持つのは普通

 

誰もが野心を持っています。

  • お金持ちになりたい
  • 偉くなりたい
  • 有名になりたい
  • 美味しいものを食べたい
  • 美しくなりたい

野心の大きさは様々ですが、野心があるのは普通のことです。

野心はないよりあった方がいいようには思う。
テレビに出たい。高級外車を乗り回したい。著作を大ベストセラーにしたい。
そういう想いが正しい方向に機能したとき、人は強い内的動機付けをされ、目標に向かって邁進する推進力を持つことは確かだ。
野心はないとダメなのか? 林真理子さんの 「野心のすすめ」を読んで

その通りだと思いますので、引用させて頂きました。

 

倫理観のない野心は困る

 

有名になりたいという野心を持っている人が

  • 芸能界で一生懸命努力する
  • ニュースに出るために大事件を起こす

どちらの可能性もあります。
違いは生むのは倫理観でしょう。

私は野心家には肯定的な考えを持っています。
「出世には興味がありません、ほどほどにやれればいい」と言いながらも「手当は出ますか?」という矛盾した主張をする人が増えている時代に、目標を見つけ、それに向かうエネルギーを持っている事は当たり前ではなく、尊い事だと思います。
その野心の達成が「自己満足」や「一部の人に認められれば良い」というレベルなら倫理観など不要かもしれません。
但し、自分以外の多くの人間が関わるようなスケールの大きい野心であれば、世の中という視点も忘れてはならないと改めて考えました。
野心と倫理観 – 人財開発道

野心が大きいほど、倫理観が必要になる。
この説明がしっくりきたので、引用させて頂きました。

 

野心を満たすために、人から応援される夢を持つ

 

  • 叶わない夢なんて、持っていても意味がない
  • 「自分は倫理観がある」と言わんばかりに、野心のある人を叩く

そんな風潮があります。

先日のインタビュー、相原 佑一朗さん「人の夢を応援し、自分の夢を叶える」に解決策があると思います。

友達の家族とバーベキューやるのも、友達が「お金無い」「忙しい」やったら叶わへんし、人の夢も真剣に応援して叶えられる男になりたい。

有名になりたいという野心を持っていたとして、
大事件を起こせば、短期的には有名になれるでしょう。

しかし、長期的に有名になろうと思ったら

  • 自分を見て、元気になって欲しい
  • 自分の作品で、人を感動させたい

人から応援される夢が必要です。

人の夢に全力で協力して、自分の夢も応援してもらえる。そういう状態になれば、事業として強くなっていくと思う。

 

ヘタなプライドは捨てよう

 

可愛い彼女が欲しいとして、

  1. 可愛くない女性とは関わらない
  2. 可愛くない女性とも仲良くする

どちらが良いでしょうか?

良い旦那さんが欲しいとして、

  1. 良い人がいないことを嘆く
  2. 良い夫婦から勉強する

どちらが良いでしょうか?

野心が満たされないことを、他人のせいにしていては、何も前進しません。

野心があることを認める
ヘタなプライドを捨てる
人としての倫理観は持っておく

これが、野心との正しい付き合い方じゃないですかね?

 

 

以上、最後まで読んで頂き、ありがとうございますm(__)m

関連記事