【虚淵玄氏 友人を自殺で失い後悔しているインタビュアーに対し】後悔する必要はかけらもありません。彼を死に追いやるぐらいの苦痛に対して敬意を払ってもいいのでは ないかと思うからです。 彼は死に追いやられるほどの苦痛にさらされていた。 その事実から目を背けちゃいけないだろう、と。・・・ 彼らが死を選んだことを「まちがいだ」 とは口が裂けても言いたくないんです。
本屋で衝動買い。まだ、虚淵玄さん(※)の対談しか読んでいませんが、鳥肌立ちました。
※魔法少女まどか☆マギカの脚本家
友人が自殺したら、それに対して怒ってもいいと思うんですよ。ある意味では裏切りであり、自分との絆ようりも死による安息を選んだということですから。ただ、だからといって「自殺は愚かだ」と言ってしまうと、友人が背負っていたものを見透かしたことになっちゃうと思うんです。そこまで自分を全能だと思っちゃいけないだろうと。
1日100人近く、年間で3万人が自殺する日本。でも、「自殺はダメ」というパラダイムでは、何も解決しないのかもしれない。
死はそれほど大騒ぎするほどのものではない、まさに本を閉じるのに等しい行為だ、と思ってるんですね。なぜ今生きているかというと、先の展開が気になるから。先に幸せがあるなんていう楽観はかけらも持ってないんですけど、まぁ、この本を読むだけ読んでみようぜっていう思いで生きているかというか。
「生きていればいいことがある」なんて励ましは、ただのポジティブだ。
でも、悪いことを楽しむことは出来る。バッドエンドの本を読んでるみたいに。
でも、悪いことを楽しむことは出来る。バッドエンドの本を読んでるみたいに。
自分が思っている幸福の概念で、一番近いと思えるのは「景色」なんですよ。景色って所有できないじゃないですか。行って、そこで眺めること、その空間の中に身を浸すことしかできない。それが、幸福というものの受け止め方としては一番正解に近いんじゃないかと思うんですね。
「幸せになるために〇〇する」「幸せになるために〇〇を手に入れる」そういう発想になりがち。いや、そういう発想しかない。
幸福という景色を見つけるための旅を続けるには、やっぱり身軽であるほうがいい。荷物は最小限にすべきでしょう。それって「幸福はアイテムですよ。どんどん所有してください」っていう世間の常識には真っ向から対立するんです。
働く、お金を稼ぐ、お金を貯める、マイホームを買う。。。
それが幸せとは直結しないって、みんな気付いてる。でも、何をしたらいいかが分からない。
「俺にとって何が大事なのか」「手元にたった一つ残すものは何なのか」って考えていくと、そこで弾かれたものはどんどん人に譲れるようになっちゃうんです。そうすると、傍目には寛容な人間に見えるようになりますし。
大事なのは、シンプルすることだ。元LINE社長の森川さんも言ってた。
恋愛関係の良きスタイルとされているものは、コレクトが前提になってる気がしますね。恋愛そのものを奨励する流れも、カップルに金を落とさせるっていうところに尽きている部分はあると思うんで。
確かに、プレゼントは高いモノほど良い気がする。結婚式も、恐ろしいほどお金がかかる。
幸せの本質とは程遠い。
幸せの本質とは程遠い。
違いをエンタテインメントとして楽しめる相手を探すのがベストだとは思います。
うむ。「話しているだけでも楽しい人」がベストだ。
僕の場合、「あのブログ読んで、私はこう思う」って言ってくれるのがベストだ。
僕の場合、「あのブログ読んで、私はこう思う」って言ってくれるのがベストだ。
【まとめ】
「幸せは景色に近い」という考え方にしっくりきた。
「幸せは景色に近い」という考え方にしっくりきた。
景色は、ボーっとしていたら見逃す。毎日見ていたら慣れる。
「旅行しているように、集中して生きる」。僕の思っていることと、ピッタリあっている。
スマホをイジりながら歩いていたら、大事な景色を見逃してしまう。
人と話している時にスマホをイジるのは論外だろう。
人と話している時にスマホをイジるのは論外だろう。
悪いことが起きても、悲しい本を読んでいるように。泣きながらページをめくればいいだろう。
※斜体部分は全て、タイトル記載の著書より引用しました。