僕が父親になるまでの10ヶ月

1月末 妊娠

嬉しいと言うより、子供が出来るかの検査もして無かったので、無事に妊娠してホッとした
お互いの両親がスゴく喜んでくれた。
僕には何の変化も無いので、正直、実感は無い。
しかし、母が「私も、おばあちゃんか」と言い、「ってことは、僕もお父さんか」と思った。

2月〜4月 家を探す

通勤に便利なことを優先し、2人暮らし用の賃貸マンションに住んでいた。
子供が産まれたら、引越そう」と言っていた。
子供が産まれるのは10月の予定。
子供が動き出す来年3月くらいに引越そうと、探し始めた。
しかし、都合良く1年後に入れる、良い物件は無い。
結局、もうすぐ満室になる新築マンションを買い今年の6月に引っ越した。
新築マイホームへの拘りは無かったが、ファミリー向けの良い賃貸・中古が見つからなかったから。
金利が低いので、貯金は崩さず、全額ローンを組んだ。
ただ、今後どうなるのやら。

4月〜5月 つわり

奥さんのつわりは、「食べると気持ち悪くなる」だった。
晩ご飯を食べた後、「おフロ入るの、まだ無理」と言って、少し寝ていた。
しばらくして、僕はつわりのコトを
ずっと続く、微熱と腹痛。みたいなもの。
と思うようになった。
「全然違う」と言われそうなので、奥さんには言ってない。
僕も腹の調子が悪いと、食べるのがしんどいし、電車に乗るのがコワい
寒気がして、フトンに潜る。
これがずっと続くのは大変だ。仕事にならん。
奥さんは、よく仕事を続けていたと思う。

6月 引越し

奥さんが安定期に入った。
とは言え、お腹が大きくなってきて、体力的に大変
  • 土曜はずっと家にいる。たまに産婦人科。
  • 日曜に家具を見に行く。
という休日。
家で過ごす時間が増えた。
  • 録画したテレビ
  • Huluで海外ドラマ
  • 携帯ゲーム、、、
寝ながら出来ることをして、そのまま昼寝した。
夜もちゃんと寝れたので、2人とも平日でかなり疲れていたのか。

5月〜10月 名前を考える

性別が分かる前から、子供の名前を考え始めた。
  • 僕は名前の本を見ながら、良さげな漢字をホワイトボードに書き出した。
  • 奥さんは音のイメージや、英語で呼びやすい名前を考えていた。
結局この意味は無く、性別が分かってから、奥さんがホワイトボードに書き加えた漢字を使うのだが。。
産まれる前に4つまで絞り、最後は産まれてから決めることにした。
結局、候補の1つをそのまま使わず、漢字を1つ変えるのだが。

6月〜9月 旅行とか

引越しや出産の準備で忙しかったが、国内旅行を2回した。
マタニティフォトも撮りに行った。
安定期になっていたので、奥さんがインスタに妊娠していることが分かる写真をあげた。
僕もついでにあげたら、いいねの数が多い
やはり子供が産まれるのはいいことなのだろう。

9月〜10月 出産休暇・里帰り

奥さんが出産休暇に入ると、家にベビー用品が増えていった。
お腹の子は激しく暴れていたが、正直まだ
自分が父親になる

という実感は無い。

  • 奥さんが子供を産むのは分かる。
  • その子供は、どう考えても自分の子供
しかし、自分が父親になると実感するとこまでは、いってない。
そうしてるうちに、奥さんが大阪⇒高知に里帰りした。
連絡が来たらいつでも行けるように、予定を調整した。

10月19日 陣痛開始

19日金曜、仕事中に痛くなってきたと連絡があった。
昼に病院に行っても「まだまだ」と家に帰されたが、夕方になって痛みが強くなってきたらしい。
姫路の客先から、仕事終わりでそのまま高知に行くことにした。
しかし、新幹線の姫路駅で人身事故が発生。
19時半の再開見込み」と言うので、
  • 姫路⇒岡山の新幹線
  • 岡山⇒高知の特急券

を買い、晩飯食いながら姫路で待機

  • 20時の再開見込みに変更」にイラッとし、
  • 20時45分の再開見込みに変更」に焦り、
  • ようやく新幹線が動いたのは、21時10分頃。
高知行き最終電車まであと30分
Googleマップで、姫路⇒岡山の距離は80キロ
時速300キロで行ってくれたら間に合うが、事故明けで300キロを出すのか?
不安で不安で、Googleマップの現在地を何度も確かめた。
・・・
結果、何とか間に合い、日が変わった0時30分頃、高知に着いた。
疲れた。

10月20日 入院

奥さんの実家でお風呂に入り、お義父さん・お義母さんと一緒に、病院へ向かった。
夜中2時頃。今度はそのまま入院。
 
痛み出したら奥さんの背中をさすり、収まったら寝る
これを朝まで繰り返した
一部は、奥さんが痛み出しても寝ていたと思うが。
 
朝8時頃。
夜中4時頃に家に帰ったお義母さんが、僕の手作り弁当を持って、病院に来た。
僕より寝てないはずだが、
「だれた(疲れた)やろ。代わるし、寝ちょきや」と言う。 
母は神だ。
手作りのお弁当を食べて、寝た。
 
お昼頃、奥さんの陣痛がなかなか強くならず、「陣痛を強くするため、頑張って動いてください」と言われる。
 
奥さんは、昨日の昼から24時間ずっと痛い
寝れていないし、ご飯も食べれていない。
それでも動かないといけない
ヒドい話だ。
 
一緒に病院を散歩したが、奥さんが5メートルくらいで動けなくなり、車イスで戻った。
 
お義母さんは、笑っていた。
ずっと「大丈夫。お母さんはみんなやってきたことやき、大丈夫。」と繰り返していた。
母は神だ。
お義父さんは、心配そうに色んな提案をしていたが、奥さんは何も採用しなかったと思う。
男は神ではない。

10月20日夕方〜21日 出産

夕方18時頃、まだ時間がかかりそうということで、僕は1回、奥さんの実家に帰った。
子宮口が10センチにならないと出産できないが、まだ半分ぐらいらしい。
20時頃に戻ってきたら、「検査中に破水した」と言う。
子宮口を調べていたら、先生の手が膜を破ったそうだ。
どうやら、陣痛を促すためにわざと破ったらしい。
しかし、まだ陣痛の間隔が広く、子宮口が十分に開かない
「そろそろ母子の体力が心配なので、陣痛促進剤を使いたい。使わないと帝王切開もあり得る。リスクはあるが、少しずつ慎重にやるので。」と言われる。
そう言われたら、もちろんOK。
現在の医学で無かったら、母子ともに命が危なかったということだろう。
何とも言えない気持になる。
促進剤が効いて、奥さんの陣痛はさらに増し、腰の痛みも限界。
テニスボールで奥さんの腰を押していた、僕の手も限界。
次の機会があれば、電動マッサージ器を持って来ようと思う。
日が変わった夜中の1時
ようやく出産
子宮口が広がった後、奥さんは1時間以上力み続けたが、頭が引っ掛かってなかなか出てこなかった。
吸引分娩をするため、助産師さんが3人も追加で入ってきた。
外で待っていたお義母さん、血の気が引いたと言う。
先生1人・助産師4人で、
  • 子宮口を広げる器具を入れ
  • ポンプで吸い
  • お腹を思いっ切り押し
  • 頭を引っ張り出した
奥さんから、血が1リットル以上出たそうだ。
その凄まじさと、赤ちゃんが出てきた時の感動で、今考えてもドキドキする。
涙が出てくる。
「出産は、男だったら死ぬ」と言われるが、僕なら出産の前に死ぬ
「立会いで気分が悪くなる夫もいる」と言うが、怒らないであげて欲しい。
僕と違って、共感力のある男性は止めた方が良い。
どうしても立会うなら、目をつぶっておくと良い。

10月21日〜26日 入院生活

僕は、仕事を1週間休ませてもらい、高知に残った。
毎日、奥さんと子供のいる病院に通った。
  • 黄疸(おうだん)が出て、光の治療を受ける。
  • 便がなかなか出ない。
  • 片目だけ、目ヤニが多い。
心配事を上げればキリが無い。これが親の気持なのだろう。
まさに「親の心 子知らず」だ。
子供を見ていて、
  • 自分と顔が似てるような気がする
  • 自分と髪が似てるような気もする
  • 目を大きく開けた時、おでこに3本シワが出来るのは、僕と一緒。
でも、似てるかどうかは関係なく、出産に立会ったからでも無く、
この子の父親は、自分だ
と思う。
それが「父親になる」ということなのだろう。
以上。
最後まで読んで頂き、ありがとうございますm(__)m

関連記事